2021年11月30日
関野凖一郎氏【東京編②】
東京での生活をスタートさせた関野氏は、創作版画のリーダー的存在であった恩地孝四郎氏の下で、
版画研究会「一木会(いちもくかい)」を発足させます。
一木会は、木版に因んで毎月第1木曜の午後開いた研究会で、
発案者は関野氏と山口源氏(静岡県出身の版画家。抽象木版画の先駆者と言われています)の二人でした。
これにより大勢の版画家たちが恩地邸に集まる様になり、
版画家としての関野氏にとってプラスになった出来事でした。
戦後まで続いたこの会は創作版画から現代版画への橋渡しの役割を果たしたといえます。
私生活では26歳のときに結婚しており、ご子息の洋作さんも同じく版画家になりご活躍されています。