2021年09月27日
関野凖一郎氏【青森編④】
日増しに秋の深まりを感じる季節となりました。
実りの秋、芸術の秋、食欲の秋...色々な〇〇の秋がありますが、
皆様は何を思い浮かべるでしょうか。
さて、今回は【青森編④】です。
今純三氏に銅版画と石版画を学んでいた関野氏ですが、
昭和10年、銅版画「埠頭」が帝展洋画部第二部会に入選し、地元新聞に大きく取り上げられました。
このとき将来画家として生きていこうと密かに決意したのではないかと言われています。
昭和11年22歳のときには、第6回東奥美術展で油絵「エッチング制作」特選。
そして、最愛の母を昭和12年23歳のときに亡くしています。
戦争の影響で家業は廃業し、昭和14年25歳でついに上京を決意。
関野氏は本格的に版画の道を歩み始めます。著書には、
「生家が没落したから版画家になれたのでこれも運命と考えていいだろう。絵を描くことには実に心が燃えた。」
と記されています。
次回より、第2の故郷である東京編スタートです。